事前行政から事後行政へ

最近では2001年3月末のペイオフ解禁を延期すべしとの議論も出てきている。たしかにその後の金融危機は予想を越えるものであり、あの頃5年後に想定していた健全な金融情勢は残念ながらまだ実現していない。ペイオフや資金援助に代わる破綻処理方法も十分整備されたとは言えない。

しかし、2001年3月末の区切りは守るべきだ。さらに3年待ったら事情が全く変わるわけではないだろう。しかもその間、不安定な宙ぶらりんの状態が続くのは金融システムにとってよいことではない。

ただそれは、当時も明記したように「ペイオフも選択肢の一つになる」のであって、社会的コストの高いペイオフをできるだけ少なくするような制度上・運用上の工夫をする必要がある。第二ラウンドの金融危機は、この問題の適切な処理をもって終了する。締切りは間近に迫っている。

護送船団方式とは何だったのか、金融分野に限らず、戦後の日本経済は基本的には、善かれ悪しかれ護送船団方式で、落ちこぼれを出すことなく日本人が一丸となって成果を上げてきた。しかしあまりにも成長・変化が早かったから、その過程で多少の落伍者が出てくることは避けられない。

その場合にメインバンクは、社会に混乱を起こさないよう支援・処理にあたることになる。猛烈なスピードで先進諸国を追い上げる戦後の日本経済において、銀行は日本経済に対する燃料補給機関であると同時に、救急車であった。

そのような重要な役割を担う銀行が倒れないように、国家が金融の後ろ盾となる。日本経済は、そういう三段構えの縦深陣地になっていた。経済発展のスピードが極めて速いにもかかわらず、社会全体が大きな混乱を起こすことなく前進できたのは、戦後の日本経済全体が護送船団方式であったからだといえる。この意味では、食糧管理制度や中小企業対策なども護送船団方式のわが国経済体制の重要な構成要素であった。