バージニア王朝

大統領だけではなく、そのほかの役職者も名士たちの互選で決まるようになったが、これぱ一種の指名制度であり、指名はまことに当然のことであるという雰囲気が建国後まもなくのアメリカにできあがっていった。

指名される人物は有産階級の出身であったが、まれにはみずから名のり出て指名を受ける者もいた。しかしそれはむしろ氷しいことであり、紳士的な行為ではないと見なされた。

何となくみなに推されて役職につくのが望ましいことだとされたのである。日本社会の指導者や会社の重役などの任命に似ていないこともない。おみこしはかつがれてこそ価値がでる。当然、地位を入手するための選挙運動などは考えられない状況であった。

紳士たちはときおり集会をもって、次の役職者は誰にするかなどということを語りあったが、このような話し合いの集団のことをコーカスと称した。この言葉は、辞書には政党の支部集会とか議員総会などと解説されているが、むしろ非公式の話し合い集団といったほどの意味であろう。

今日でも同じ意見の議員たちが集まって話し合いを行う集団のことをコーカスといい、ガンーコントロールに反対のコーカスだとか、黒人の女性の権利を認めさせるためのコーカスなどというものがある。

アメリカの始まった時代に、地方の名士がコーカスと呼ばれる集団を作り、なれあいのなかで政治を行うということが普通になった時、アメリカの政治の形態は一般の民衆を置き去りにした、一種の貴族政治に近づいていたわけである。

しかもこのような傾向は、合衆国憲法ができあがったのちも変わることがなかった。いわゆる談合政治の体質は、「一片の文書」でぱ改まらなかったのである。ジョージ・ワシントンもそうだったが、大統領などの重要な役職につくのはバージニア州出身の名士が多かった。

二代目の大統領ジョンーアダムズや、紳士たちのなかでも隠然たる勢力をふるっていたアレキサンダー・ハミルトンも、バージニア州の出身だった。それゆえ皮肉をこめて、当時のアメリカの政権のことを「バージニア王朝」などという。