私の卵巣切除未遂事件

実は一九八四年、私は卵巣切除未遂事件に出会った。私はその時、初産の体験から医師はオールマイティーじゃないと知っていたし、自分の身体を一番よく知っているのは私自身だとも知っているつもりだった。エコーをみて、「卵巣が鶏卵大にはれている。即刻、切除手術を」と宣告された時、「そんな! このくらいの痛みで? そんなにすぐ切除しなくちゃあいけないんだろうか」と、強い疑惑がわいたのも事実だった。実際その私の心に起こった疑念を主治医に相談したが、彼は「絶対必要だ」と取り合ってくれなかった。

けれども、もっと厳密に考えてみると、そのように宣告された時、私の心の九〇%くらいは「産科医の言うことだから、間違いないだろう、手術せねばならないのだろう」と、すっかりその気になりかかっていたのも事実だった。ただし、私は卵巣切除後に起こるといわれるホルモン分泌のアンバランスによる頭痛と肥満については非常に恐れていた。それが私の心を一〇%だけ押しとどめ、切除手術の必要性にこだわらせていた。

その夜、私は看護婦の友人に電話をして助言を求めた。「そんなに気になるのなら、もっと他の、同じくらい信頼のおける病院でみてもらったら? それで同じ診断なら手術に踏み切ればいいじゃない」といとも簡単に彼女は言ってのけた。そうだった。なぜ気づかなかったのだろう。その四年前には富士見産婦人科病院事件も発生しそこでは不必要に子宮や卵巣が切除されたことも知っていた。

医師の診断に納得できない時にはもう一軒別の医師をたずねることなど、要手術の場合の、いわばイロハだと私は認識していたつもりだったのに、医師から診断結果を告げられるとその言葉は、ただの「診断」という域を越えて神からのお告げのように私の心をがんじからめにしてしまう。頭の中で「正しい」と判断することと、正しいと考えた通りに身体が動くということとは別ものなのだとつくづく思った。

とにかく別の病院を受診し、そのおかけで、今も卵巣は働き続けている。「いいお産」とは何だろうか。それはやはりお産した人自身が、心から「よかった」と納得できるお産であること、そして安全で、苦痛少なく、心豊かな状態で産むことができたというのが、「よかった」ことのフ。クターではないだろうか。お産が医療対象の事柄ではなかった時代(現代でもお産は原則的には医療対象の疾患ではなく、正常産は健康保険もきかない)。