デフレとは何か

物価が持続的に下落することをデフレ(デフレーション)と呼ぶ。そもそも、なぜデフレは起きるのだろうか。また、物価が下がることは、喜ばしいことのはずだが、なぜ、困った事態が起きてしまうのだろうか。実は、デフレがなぜ起きるのかは、まだ完全にはわかっていないのだ。いくつかの説があるが、どれも、デフレの原因をすべて解き明かしたとは言えない。いくつかの要因が複合的に関与して、デフレが生じてしまうと考えられる。一つ間違いなく言えることは、デフレのときには、需要が不足し供給過多になっているということである。需給のマイナスーギャップが生じているのである。では、なぜ需要不足・供給過剰という需給ギャップが生じるのだろうか。

その原因の一つは、景気循環という現象である。経済は拡大過程と縮小過程を繰り返しながら、徐々に成長していく。それは、生物のバイオリズムのようなものである。拡大過程では消費が増え、それに合わせて生産が増える。しかし、生産設備には一定の限界があり、消費よりも遅れて増加するため、景気がよくなるにつれて供給不足になり、物価が上がりインフレになる。ところが、インフレがある段階まで進むと、そこまで高いお金を出して買わないという人が増えてくる。つまり、消費が頭打ちになってくる。そこに、生産が遅れて増えてくるため、今度は逆に売れ残りが増え始める。生産を減らすとともに、在庫を解消するために、多少値下げしてでも売ろうとする。それによって、物価が下がりはじめる。これがデフレである。

本来であれば、デフレがある程度まで進むと、割安なので買おうという人が増え始め、また消費が回復してくる。在庫が減少し、材料価格も下がるので、採算がとれるようになり、生産も持ち直し始める。景気循環に伴ってみられるデフレは、通常ごく短期間で、自然に回復に向かう。景気循環も非常に重要であるが、これだけでは、十年も続くデフレを説明することはできない。なぜ、需要不足・供給過剰の需給ギャップの状況が解消されないまま、長期にわたって続いてしまうのか。景気循環のような波動現象は、長期的に平均化してみると、取り除いて考えることができる。長期的なスパンでの現象の原因を探るには、そうした長期分析の手法が有効になる。長期的なインフレ率を左右する要因は何であるのか。

それに対する答えは、貨幣供給量(マネーサプライ)であるというのが新古典派経済学の貨幣数量説である。実際、十年くらいのスパンで、貨幣の量の増加率とインフレ率を調べると、概ね相関関係にあることがわかる。貨幣数量説によれば、デフレとは、貨幣量が十分に増えていないことによるものだと考えられる。その考えに従えば、貨幣量を適切に増加させることによって、デフレから脱出させたり、適度なインフレを維持することも可能だということになる。物が余っても貨幣が不足してもデフレにデフレは貨幣量の不足だけで生じるわけではないが、貨幣量もまた重要な因子であることは間違いない。デフレを考える上では、物の需要と供給だけでなく、貨幣の需要と供給も重要なのである。マイケルーボルドらが、Deflation所載の論文で述べているように、物の供給が過剰になっても(ポジティブーサプライーショック)、貨幣の供給が不足しても(ネガティブーサプライーショック)、デフレになるのである。

実際に、貨幣供給量が不足することで激しいデフレが生じたことは、過去に何度もあった。大恐慌も昭和恐慌も、そうした一例である。特に金、銀本位制が採用されていた時代には、貨幣供給には大きな制約があり、貨幣を容易に増やすことができなかったため、通貨供給量が足りないという事態を生じやすかったのである。江戸時代、将軍綱吉は奢侈に耽り、生類憐みの令を出すなど「悪政」を行ったことで知られる。財政不足を補うため、勘定奉行の荻原重秀は、慶長金貨、銀貨の品位を落とす改鋳を行い、そのために、インフレになり物価騰貴が起きた。その綱吉の後を継いだ家宣は、当代随一の儒学者であった新井白石の手に政治経済改革を委ねる。後に正徳の治と呼ばれる改革である。白石は、慶長金貨、銀貨の品位を元に戻し、財政の立て直しをはかった。ところが、その結果、激しいデフレになり、江戸の街は活気を失い、借金を抱えて首をくくるものが相次いだ。