沖縄に残る原始母系社会の痕跡

沖縄の平均所得は最下位だが、申告所得で1000万円以上ある人の割合は全国九位と、人口比で言えば高額所得者が非常にたくさんいるのである。平均所得が最下位の一方、高額所得者もたくさんいるということは、格差が非常に大きい県だということだ。中国は外車を買える人口が二億人に達したが、その一方で一一億人近い国民が貧しさにあえいでいると言われる。そこまで極端ではないにしても、沖縄は格差社会を先取りするかたちで二極化が進んでいる。たとえば、沖縄では仕事を見つけるのは容易でなく、たとえ見つかっても月収一〇万円の仕事はざらだが、米軍基地に接収されている軍用地の地代だけで、約三万人の県民が平均二〇〇万円以上の不労所得を得、一〇〇〇万円以上を得ている人も数百人にものぼる。

産業もないのに、何でそんなに金持ちが多いんだと思われるかもしれないが、おそらく一九七二年の本土復帰以来、「沖縄振興」のために政府がつぎ込んだ八兆五〇〇〇億円のカネがどこかで滞留しているのだろう。沖縄ではお金が滞留して下まで流れてこない。ある「模合」に参加させてもらったときだ。下卑な笑い方をするオッサンが、軍用地代やアパートの家賃などで、最低でも年間六〇〇〇万円の収入があるというのを聞いて仰天したことがある。土地や建物の資産総額は見当もつかないそうだ。「どんな仕事をしているのですか」と私は尋ねると、その男は黄色くなった歯を見せ、「毎日、どうやって時間をつぶすか、それを考えるのがおれの仕事だ」とうそぶいた。「うらやましいですね」と、私はほんとうにうらやましそうに言ったのだが、意外にも「苦痛だ」という。

「それなら、これと思う企業や人に投資したらどうですか」「とんでもない。そんなことをして財産をなくしたらご先祖様に申し訳ない。パチンコでもして多少は使うが、このお金はそっくり子孫に残してやるつもりだ」カネは彼らのような持てる層にどんどん流れてくるが、彼らの財布には出口がないから貯まる一方である。親しい地元記者は、「沖縄にはお金が上流に滞留して、下まで流れてこない構図がある」と言ったが、カネが循環しない社会になっているのだろう。ストックが大きくてもフローが小さいから、いつまで経っても県民所得が増えないのである。数人が、あるいは数企業が集まって、東京の不動産などに投資するグループはあるが、彼らは沖縄県内の企業には投資しない。リスクがあるからだ。こうして沖縄は、いつまでたっても低所得者層が減らないのである。

都市化と核家族化でユイ了−ルがどんどん消えているが、それでもまだ残照のように存在するのは、相変わらず貧困層が多数を占めるせいかもしれない。ナツコの取材をして感じたことは、沖縄は男性優位に見えて、女性優位の社会だということだった。沖縄では一家の位牌を守るのは長男である。別に法律があるわけではなく、昔からのしきたりである。位牌を守るというのは、一片の位牌をいただくだけでなく、すべての財産を引き継ぐことも意味する。長男以外の兄弟は「味噌樽ひとつで放り出された」というから、何ともすさまじい。復帰後、財産は妻と子供で半分ずつ分けあうという戦後の民法とは相容れず、よく裁判沙汰になったそうである。

もっとも、これは資産がある家庭の話だろう。田んぼ一枚で家族を養ってきた家庭が、財産を子供たちに平等に分けていたら、たちまち雲散霧消してしまう。むしろ長男にすべての財産を相続させるのは理にかなっていたのかもしれない。沖縄本島では女性に相続させた例もあったが、きわめて少なかったと思われる。いずれにしろ、女性が報われるシステムでなかったことだけはたしかだ。長男に位牌を守らせるというのは、血の系譜が男性によってなされるのだから父系社会である。父系社会は当然、男性優位(男系原理)の社会を生み出す。かつて琉球国は、明朝の朝貢国となった一四世紀末から海上交易で栄えたが、中国とは清朝の時代まで「冊封」(親分の宗主国が子分の朝貢国の元首を任命すること)関係にあった。子分が親分の儒教社会を受け入れて男性優位の社会になるのは当然だろう。私はそう思っていた。