22の言語はすぺて同等

数千年間撹拝されて出てきた、多彩性の中で生き、多彩性を生かし、またその多彩性を守る(生む)能力が、「インド式トインテリジェンスであると私は考えている。つまり、多彩性が「インド式」インテリジェンスの原点である。インドの多彩性について語る上で、まずは言語について触れないわけにはいかないだろう。インドには主な言語だけで22ある。公用語であるヒンディー語と英語は、国語ではなくあくまで「共通語」であり、国語という意味では22の言語すべてが同レベルで「国語」なのだ。ヒンディーは国民の60%の人が話すが、国民の1%も話さないような少数言語も、同じレベルで認められている。例えば、ルピー紙幣には22の共通語すべてが書かれており、インド政府が何かの通達を出す際には、22の共通語全部で出さなければならない。

インドでは実際には英語を除くと22言語が使われているが、それは方言のレベルではなく、それぞれがフランス語と英語ぐらい、またはそれ以上の違いを持つまったく違う言語である。インドは文化的には北、南、東と大きく分けちれる。東のアッサム州はモンゴル系を基礎とした文化であり、北のカシミール地方はアーリア系が中心ではあるが民族的には中国系やモンゴル系も入っている。しかし言語面ではパキスタンを含めサンスクリット語から派生したインドーアーリア系である(ちなみに私たちインド人はアフガニスタンパキスタンバングラデシュはもちろん、ネパール、ブータンスリランカまでも文化的にインドと見なしている)。サンスクリット語ラテン語、ギリシヤ語は姉妹と言われるが、ラテン語から英語、フランス語などが派生したように、サンスクリット語からヒンディーとマラーティー、グジャラーティーが生まれた。

それぞれの言語は文字も違えば文法も違うが、フランス語とドイツ語に共通の語彙があるように、それぞれに似たような単語がある。英語で3を表わすthreeやトライアングルはサンスクリットでもtrlという言葉があり、ヒンディーではteenになっている。ラテン語で父を表わすpadreや母を表わすmadreはサンスクリットではpl(e)tre、matre、ヒンディーではそれぞれp・lta、mataであり、血縁関係にあることがわかる。サンスクリットでは、動詞は一つの時制につき、主語の名詞が男性か女性か中性か、数が一つか、二つか、それ以上かにより、活用が変化する。「私はリンゴを食ぺます」という短い文だけでも、「リンゴ」が単数か複数か、主語は男性か女性か、さらに「食べます」の時制がいつかによって、32通りもの異なる文章になる。現在でもヒンディーをはじめ北の言語では、この活用が残っている。

一方南インドはドラヴィダ系で、まったく異なるルーツを持つ。一時サンスクリット語を使っていたこともあって、南の言語でもタミル語サンスクリットペースだが、基本的にドラヴィダ語圏は、アーリア人が入ってくる前の、5000年前のインドにあった文化や言語をルーツとしている。北インドのアーリア系の社会との一番の違いは、ドラヴィダ系は母系社会であることだが、言語もまるっきり異なる。北インドの人にとって南インドの言葉(テルグ、タミルなど)は、フランス語やドイツ語の方がまだ近いくらいで、南インドの言葉はヒンディーと共通した単語もなければ文法もすべて違う、いわば赤の他人なのだ。私は北インドの出身だが、南インドの言語を勉強することは、日本語を勉強するのと変わらない。脈々と受けつぐ「祖州」と「マザータンク」

ほとんどのインド人はマザータンク(母国語)の他に2カ国語を話す。インドでは、まず全員が「マザータンク」を持つ。これは父と母の「マザータンク」を引き継ぐことになるが、父と母の「マザータンク」が同じとは限らない。その場合は、生まれながらにして二つの母国語を持つことになる。これは私の息子が日本語とインドの言葉を持つのと同じことだが、インドではこれが当たり前だ。ここでは話が込み入りすぎるので、仮に父と母が同じ州の出身、すなわち同じマザータンクを持つことにしよう。インド人は一人ひとりが自分のルーツの州、いわば祖国ならぬ「祖州」を持つ。「祖州」とは現在どこの州に住んでいるかとは無関係で、自分がどこの州の人間だと思うかということだ。アメリカに渡った日本人の家族は二世くらいまでは日本を祖国と思っていても、三世、四世と世代を経るにつれ、日本語を話さなくなり、アメリカを祖国と思うようになるのが普通だろう。