地球学が求められている

酸素は大気中に多くありすぎても困るが、現在量はその意味でちょうどいいレベルにある。皮肉な見方をすれば、人類はその過程を、オゾン層の破壊ということで実験的に確かめようとしているともいえる。地球環境は新たな生物種の出現によって変化し、そのためそれ以前の生物種を絶滅に追いやることもある。光合成生物の出現はその例である。人類はそれに匹敵する環境変化を地球にもたらそうとしているのかもしれない。

我々はこれまで地球の自然の営みのなかで、そこからそれほど逸脱することもなく生きてきた。人類が誕生して四〇〇万年間のほとんどは地球の生態系のなかに組みこまれ、人類以外の生態系とバランスする形で地球に生かされてきた。

人類史のうえで転機が訪れたのは約一万年前である。この時人類は農耕をはじめた。農耕とは、地球の生態系とは異なる人工の生態系をつくりだすことである。そのために食料が確保され、この時から人類のより安定した生存が保証されることになる。人工の生態系を拡大するためには、地球(自然)を知り、それを征服することが必要である。そのために文明が生まれた。文明とは、その発生時から地球と敵対する宿命にあったといえよう。文明の盛衰の歴史はそのまま環境問題に集約できるのではなかろうか。

一万年前、人類は地球を食いつぶすことで自らの繁栄をきずくという道を選択した。その延長線上に現在がある。これまでの文明はその規模がローカルであったために、その本質が問われなかっただけのことである。ところが現代文明はその維持と発展のために、巨大なエネルギーと物質を消費する。一方で人類の生存はより確かに保証され、人口が急激に増加し、地球の生態系のなかで突出した存在となった。

その結果、現在の地球環境問題が生じたといえる。問題となる原因物質の排出を規制することは必要であるが、それが本当の解決策ではないことはおわかりいただけよう。それは単なる対症療法的なものにすぎない。一時的な流行として地球環境問題をとらえることはもっと危険である。