バブルの崩壊過程

GDPの内訳で見ても、この4年間に、個人消費や政府支出は25%程度しか伸びていない。それに比べると、民間設備投資と住宅投資は約60%も伸びている。結局バブル期といっても、実体経済面では民間の投資が突出していただけなのである。通常の国民生活そのものは、案外平静、平常だったのではないか。

そのことは、バブルの崩壊過程に入ると明確になってくる。90年代になると、民間の投資は一転して大幅なマイナスになる。バブル崩壊後の資本ストック調整は、二重の調整過程であった。すなわち第一に、バブル期の過剰な投資の結果積みあがっだ資本ストックが適正な水準になるまで足踏みすることであった。第二に、バブル後の予想成長率低下に対応して、将来に向かって資本ストックの伸びを落としていくためのものであった。このため設備投資は大幅な減少が続き、景気回復の足を引っ張ったのである。

投資のバブルは需要面だけではなく、供給力の増大という意味においても、バブル崩壊後の不況の原因となっている。この場合、単に国内の民間設備投資に止まらず、プラザ合意後の円高を契機に、大幅に増加した海外への直接投資をも考える必要がある。

わが国の直接投資はバブル以前においても、賃金コスト上昇や円高によってかなり進んでいたが、プラザ合意による急激な円高のあと飛躍的に増大した。直接投資額は、81年から85年の5年間の255億ドルに対して、86年から90年の5年間は1604億ドルと、6.3倍に急増している。ちなみにその後の5年間(91〜95年)には、1019億ドルと減少している。このことは、海外拠点を含めた広い意味でのわが国の供給力は、この期間に大きく膨らみ、その後の過剰設備の原因をつくったものといえる。