タブーを破ったこと

私は、週刊誌からコメントを求められたが、実は私は、憲法についてろくに思い入れもなく、深く考えていないことを自覚するばかりであった。そういう私の言葉など、憲法学者平和憲法を守る会などという団体の人たちには、聞くに値しないものなのだろうと思うが、マスコミが笛を吹いても国民が踊らなかったこのたびの実情は、国民はもう、自衛隊違憲か合憲か、などという理屈には関心がなくなっていることを示しているのではないだろうか。

マスコミ、特に一千万部もの発行部数を誇る大新聞が、こともあろうに、憲法に関して世論を導くようなことをしていいのか、と反対したり批判したりする人は言う。私は、そのようには考えない。大新聞であろうが、小新聞であろうか、タブーを守る側ではなく、破る側に立ってほしいと思っている。世論がマスコミの影響で動く現実は避けられない。だからマスコミは、特に大マスコミは、新憲法の試案などを出してはいけないというのが、反対する人たちの言い分だが、私は、反対しようが、批判しようが、影響大なるものがマスコミなのだから、いい方向が生まれる方向で、それを与えてほしいと思っている。

一にも二にも視聴率のテレビや、途方もない発行部数をほこる大新聞は、タブーの中に閉じこもって安全と利潤を求める。世間大衆が、平和だの人種などという錦の御旗をかかげると、自分もそう思っているふりをする。神聖にして犯すべからずの錦の御旗など、戦前戦中も今も、それを退けるのがマスコミの役割でなくてはならないのに、戦前戦中も今も、マスコミはその旗手になっている。平和憲法も、なにしろ、平和という神聖にして犯すべからざる言葉がついているので、マスコミは用心深く、当たり障りのないことばかり言ってきた。改憲などを率先して言うことはタブーであった。

そのタブーを読売新聞が破ったので、他紙やテレビは一瞬騒いだのである。部数がどうだの、スペースの取り方がどうだの、そういうことを言い、肝心のことは言わない。そんな騒ぎだったから、すぐに収まったのである。他の大新聞や大テレビよ、読売新聞がけしからんことをしたのなら、何がけしからんのか、私たちによくわかるように、大げんかをしてくれ。まさか、タブーを破ったことがけしからん、とは表向きには言えないだろうな。