労働点数制度の活用

農業余剰の工業部門への移転は一回かぎりではなく、恒常的なものでなければならない。少なくとも、工業部門が「拡大再生産」のための原資を自部門の内部から調達しうる、つまりは「自己維持的拡大」局面にいたるまでのあいだ、農業余剰は持続的に工業部門に移転されつづけられねばならない。そうであれば、この余剰をコンスタットにつくりだすために、農業部門それ自体の拡大再生産が必要である。そのための手段が、少なくとも当時の卓越した権力者毛沢東が追い求めた手段が、農業集団化であった。

農業集団化の最終的形態が、人民公社である。人民公社はそのスローガン「一大二公」一に大規模、二に公有に示唆されるように、生産手段の公的所有と労働力の集団化を、しかもできるだけ大きな規模で実現することが追求された。要するに農業集団化は、まずは農業生産における「スケールーメリット」(「規模の経済」)の実現をめざしたのである。

人民公社管理委員会が設置され、国家から指定された農産物の種類、作付面積、生産量、単収の四つの「指令制目標」の工元遂義務を、この管理委員会が負わされた。人民公社は、そのもとに生産大隊、生産隊を擁する「三級所有制」に組織された。四つの指令制目標は、人民公社の采配のもとでふたたび完遂を義務づけられる指令制目標として、この生産大隊、生産隊という下部組織へと「下達」されていった。義務完遂に必要な肥料、種子などは、人民公社から一元的に供給された。

この農業システムのもとで、土地はもとより、役畜、農機具にいたるまでが集団所有とされた。生産手段の集団所有を基礎に労働力もまた集団的に組織された。農民に対する所得配分は、人民公社管理委員会がこれを統一的に行うという方式がとられた。労働をその強弱によってわけ、それぞれに固有の基本点数をつけ、農民のえた総点数を基礎に分配を行うという「労働点数制度」が用いられた。しかし、労働点数評価は実質的に困難であり、現実には「均分主義的配分」、つまりは一生懸命働いてものんびり働いても、同一の現物賃金が支払われるというものであった。