米軍の軍事的任務

重要なのは「危機に晒されている関心事項が、重要ではあるが死活問題ではない場合には、米国の軍事力の投入は、それが米国の利権を犯す可能性があり、敵対勢力がその目的を達成する可能性が高く、しかも米国の目的を達成するには米軍の投人以外には適当なものがない場合に限るべきである」と記されている点である。そして、米軍の投入は選択的で、かつ限定的なものでなければならないともしている。

つまり、今後米国がその軍事力を使用するのは、従来以上に選択的で、限定的なものになる場合が多くなるであろう。これは、米国の軍事力による強引な外交に懸念を抱く立場の人にとっては好ましい傾向かもしれないが、米国以外の国や勢力は、米国の軍事力に期待できる状況が今後は減少するという現実を覚悟しておくべきであろう。例えばQDRでも「人道的要素が主体である事項が危機に晒されている時には、一般的に米国の軍事力がその問題に対応するのに最上な手段とは言えない」としている。

もっとも、「場合によっては米軍のユニークな能力が事態の対応に適当で、必要とされる場合もある」としてもいるが、その場合でも「米軍の軍事的任務を明確にし、米国兵士のリスクを最小限に抑えるように配慮し、米軍の関与の範囲を、より大規模な国際的支援活動が起動するまでの、初期的段階に限定すべきである」と断じている。これはソマリアでの平和維持活動の教訓や、中東タルト族への人道支援の経験から生み出された方針であろう。

一九九三年のボトムーアップーリビュー(BUR)では冷戦後の米軍の主要任務の一つとして、人道支援や平和維持活動を強調したが、その後の米国の経験と世界情勢の変化により、少なくもBURよりは米軍の任務ぱ後退したように見える。米国の全世界に対する展開・輸送能力や指揮通信能力の支援を得られない限り、世界のどの国として独自に遠距離への人道支援・平和維持活動ができる国がないというのが現実であるが、米国はいっそう、こうした分野における米軍の投入に躊躇するようになってきている。

代わりに米国は、米国にとって関心が高い地域・国との関係を強化し、安全保障環境を醸成していく方式を主力にする方針を打ち出した。一種の予防外交の強化である。それは「軍事的透明性と信頼性を増大させる二国間、および多国間の関係を構築していくこと」と、海外に米軍を維持し、平時の関与を実施していくことであるとしている。

また米国の核戦力も、その主任務は米国とその海外に展開している軍隊、そして同盟国、友好国に対する侵略を抑止することにあるとしている。そのために、米国はその死活的問題に対して外国勢力が挑戦するのを抑止し、かつ核戦力での優越性を得ようとするような行為が、無駄な試みであると確信させる目的に十分な戦略核戦力を維持せねばならないというのが、米国の核戦力に対する姿勢である。