迷走する金融安定化法案

他の金融機関と同様、サブプライムローン関連など多額の不良資産を抱えて資金繰りが行き詰まっていた。米政府は当初、AIGも救うつもりはなかった。十二−十四日の官民緊急会合ではリーマンだけでなくAIGについても民間救済を促している。FRBも一度は緊急融資の要請を突き放した。十四日の時点では投資ファンドによる支援がまとまる可能性が残されていたほか、ポールソン長官も古巣のゴールドマンなどに救済を打診していた。だが皮肉にも、政府が初志貫徹してリーマンを破綻に導いたことが民間主導のAIG再建を難しくした。十五日の市場混乱はAIG保有資産価格を一段と押し下げ、破綻回避に必要な資金は四百億ドルから八百億ドルヘと膨れ上がった。支援を検討していた民間は引いていった。

ガイトナー総裁はAIGの破綻が金融システムに与える影響について情報収集を始めた。次々に報告が上がった。国民が預金感覚でお金を預けるマネー・マーケットーファンド(MMF)が元本割れする。四千億ドル超もの金融派生商品の契約を通じて、世界中の金融機関が甚大な損失を被る。「変心」と言われようとも猶予はなかった。FRBによる八百五十億ドルのつなぎ融資と、八〇%近い政府出資を柱とする救済内容が記された三ページの書類がAIGに届いたのは十六日午後四時。AIGの緊急取締役会が始まる午後五時の十分前、ロバートーウィルムスタッドCEOあてにポールソン長官、ガイトナー総裁の二人から電話が入った。ガイトナー総裁は言った。「これは最初で最後の提案だ。それから一つ条件がある。あなたにはCEOを辞めてもらう」。

取締役会でウィルムスタッドCEOは役員らにつぶやいた。「我々は最悪な選択を迫られている。あす破綻するか、救済策を受け入れるかだ」。取締役会が救済策受け入れを決めたのは夜七時五十分だった。ポールソン長官とバーナンキFRB議長は直ちに議会有力者への事情説明に向かった。緊急の会議にあわてて駆け込んできた議員の中には、パーティーを抜け出してきたのか、タキシード姿の人もいた。「もう限界だ。議会に支援を要請しよう」。十七日夜、バーナンキFRB議長は、執務室からの電話でポールソン長官を説得した。これ以上の個別救済はFRBの権限を越える。その場しのぎの対応ではなく、政府が議会の承認を得て大規模な公的資金を投入すべきだ。

ポールソン長官は十八日朝、ついに公的資金活用を含む包括的な金融安定化法案を議会に提出することを決意する。個別救済であれば「金融システムを守るための緊急避難」と言い張ることもできる。だが法律を作るとなれば、政府による民間不介入を原則とするブッシュ政権にとって大きな方針転換だ。根回しの時間は乏しく、事実上の見切り発車だった。ポールソン長官は同日午後、バーナンキ議長と慌ただしく議会指導部のもとへ調整に向かい、翌十九日には内容の大枠を記者発表。二十日に電子メールで議会へ送った原案は、作業時間の短さを反映するようにわずか三ページだった。

記者発表された内容は、①公的資金を使った不良資産の買い取り、②MMFの払い戻し保証に政府基金を活用、③金融機関株式の空売りの全面禁止―−』が柱。目玉は金融機関が保有するサブプライムローン関連の証券化商品など不良資産の買い取りだ。値下がりの激しい不良資産を金融機関から切り離し、損失拡大の芽を摘まない限り、市場の信頼は取り戻せない。そのための公的資金枠は最大七千億ドルと決まった。法案には最終的に、時価会計の停止権限を米証券取引委員会(SEC)に与えるという金融機関の損失先送りにつながりかねない「非常手段」まで盛り込まれた。