アメリカに抗するヨーロッパ諸国

「私は、アメリカの方針に正当性があるから支持したのであって、危険な大量破壊兵器を危険な独裁者が持った場合に、どのような危険な状況に直面するか。大量破壊兵器廃棄、これはもう国際社会が一致結束してイラクに求めていることであります。同時に、日米同盟、日本が攻撃された場合、アメリカは、アメリカへの攻撃とみなすといって、今、日米安保条約を締結している。だから、日本を攻撃しようとする意図を持つ国は、アメリカと戦う覚悟がなしに攻撃はできない。それが大きな抑止力になっている。これを総合的に考えて、アメリカを支持することは日本の国家利益にかなう。支持することが国家利益にかなうから支持しているんですよ。」

後段に注目しよう。小泉首相は、やがてはじまろうとするイラク戦争支援に自衛隊を派遣する理由に、あからさまな表現で「日本の国家利益」をあげた。日本を守ってもらうためにはアメリカの戦争に協力しておく必要がある、という国益論によってである。日米関係が、このような率直な表現、というより露骨な利害の言葉で語られたことはかつてない。首相の頭に「テポドンの脅威」がかすめたのかもしれない。それにしても、他国民の不幸と犠牲には目もくれず、「アメリカの抑止力」に「日本の安全」を直結させ、「だから(イラク戦争を)支持しているんですよ」と公言してはばからない姿勢は、あまりに自国中心にすぎる。

北朝鮮の核脅威は現実のものではなく、不定の未来、可能性の領域にある。朝鮮半島の非核化をめざす交渉の呼びかけが進行中だったし日本も加わっていた。また、アメリカの「軍事抑止力」にたよらずに、独白の外交努力−日朝国交正常化で韓国に対してと同様に植民地支配への「謝罪と補償」によって、少なくとも日韓・日中関係と同程度の摩擦まで緊張レベルを引き下げることもできる。加えて首相の論法は、アフガニスタン攻撃支援のさい、憲法前文の「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない……」の一節を引いたときと比べても、さらに矛盾する。まさしく「自国のことのみに専念して」いると告白しかも同然だからだ。

イラク戦争による民間人の死者が、約六万人(NGO「イラクーボディ・カウント」二○○七年六月時点)にのぼっていることを思えば、小泉首相の「国益論」が、国際社会やイラク国民から一国エゴイズムだと非難されてもしかたない。これに反し、ヨーロッパ諸国、とりわけフランスとドイツは、日本と対照的な対応をした。両国はこの戦争に「大義はない」として対イラク開戦に反対した。派兵要請にも応じなかった。ブッシュ政権は、サダムーフセイン体制打倒の武力行使を、国連安全保障理事会の決議にもとづく「国連による軍事的措置」にしようと工作した。

だが、フランスードイツニカ国の強い姿勢を崩せず、「国連の力の行使」である武力制裁決議の採択はならなかった。ここで「単独行動主義」と「共通の安全保障」路線のちがいが、くっきり浮かびあかっか。フランスードイツ両国は、武力行使より先になすべきことがまだ残されている。大量破壊兵器を探し出すための査察活動継続こそ必要だと主張したのである。フランスのドビルパン外相は国連で次のように演説した。「われわれの確信は二点。査察こそイラクの効果的な武装解除をもたらしうること、人々と地域の安定を危機にさらす武力行使は最後の手段ということだ。たしかに戦争は最速の選択肢に思える。だが、勝利しても、そのあとは平和の構築が必要だ。早まった武力行使は、新たな争いに道を開きかねない。